創作の世界は自由である、現実の世界のことを押し付けてはならない

Tetsuya Nomura doesn’t think we should have to play as ugly characters in games

「なんでゲームの世界でもブスにならなきゃいけないの」
創作の世界でも現実の世界のようにならなきゃいけない。創作とはそもそも想像によって作られるものである。そんな創作の世界を現実の世界の形に修正する、意味のないことである。

昨今の表現規制にはうんざりだ。特に今海外では中立的なことが正しいとされ、創作の世界でも中立的なことが求められている。現実の世界でも「それは中立的か」と考えることが正しいとは限らない。それなのに創作の世界でも中立的であることを求める。これはおかしい。

人間はあらゆるものを想像して創作して発展してきた。それを阻害することである。この中立的であることは一見聞こえが良い。その為今世界中に広がりつつある。幸いにも日本では日本語という言語の壁もありそこまで広がってはいないが、飲み込まれる可能性は十分にある。

『Lv2からチートだった元勇者候補のまったり異世界ライフ』キービジュアル
Lv2からチートだった元勇者候補のまったり異世界ライフ ©鬼ノ城ミヤ・オーバーラップ/Lv2からチートだった製作委員会

ブームは過ぎたが異世界ものは海外にもジャンルのひとつとして、”Isekai”として受け入れられている。それは「異世界」という創作ものであることを強調するような言葉が使われていることもあると思う。「異世界」に現実の世界のことを押し付けることはできない。「異世界」ではチートがあってもいいし、差別があってもいい。なんならスマホがあってもいい。「異世界」なのだから。

『異世界はスマートフォンとともに。』キービジュアル
異世界はスマートフォンとともに。 ©冬原パトラ・ホビージャパン/ブリュンヒルド公国

そこでは創造主である作者により様々な物語が作られ、様々な冒険がある。私たちはそれをアニメやマンガとして見る。あるいはゲームの中のキャラクターとしてそれに参加したりする。勿論それは強制ではなく「異世界」を感じたい人が行う。

お気づきだろうか、創作の世界も「異世界」であることを。アニメでもマンガでもゲームでも同人誌でも。人が創り出した「異世界」である。